季節は何処へ行く

 野球選手が「プロ野球で被災地の人々を勇気づけ、励ますとか、今はそういう段階ではない」というようなことを言っていたが、その通りだと思う。音楽などにしても、今のような緊急のときに何の意味も為さない。NHKのニュースでは、明日がどうなるかも知れないのだと、切迫した訴えが電話を通して語られていた。しかし自分の日々の生活を生きるしかない自分には、ものを送り届けることも出来ない。
 音楽は無意味だ、チャリティーコンサートなどはその最たるものだ。何かしよう、というのは分かるが何かが乖離している。だが、それを非難できる訳でもない。そんなことを考えている時に、モーモールルギャバンの人がギターを抱えて新作のデザインを手がけたイラストレーターの個展会場やツアーの行く先々の街頭で歌い、集めたお金を赤十字に送金する、ということをやっているのを知った。そんな方法があるのか!と、何も知らないものだから感心したりした。大きな会場で歌ったりするより、募金箱にお金を入れるより、そんな行動の方がより直接的だし即時性がある。
 そうして2週間が経った。原発のことが何も気にならないような人たちが信じられないと内心思いながら過ごしていたが、一方で広島出身の自分は何か考えすぎのところもあるのかも知れないとも感じていた。しかし「ただちに健康に悪影響は及ぼさない」と言われても、空気中や水から普段よりも多く放射性物質が検出されたとかいうニュースを見聞きして、少なくともいい思いはしない。
 スーパーに行っても水が全然売っていない中、いろんなものを取り扱っている安売り店に一昨日ふと立ち寄ったら、「三本まで」と制限はあるものの水がたくさん売られていた。これを帰りがけに少しずつ買っていけば困ることはないだろう、と思っていた。が、東京の水道水からも赤ん坊の摂取制限を超える量の放射性物質が検出されたと報じられて、今日その店に立ち寄ったら水を置いていた所には何もなくなっていた。スーパーには牛乳もなく、卵も売っていない。なぜだかモヤシもない。野菜売り場からはモヤシの値札がなくなり、他の野菜が並べられるようになった。
 落ち着かない日々だが、しかし自分の生活は自分の生活で送らにゃならん。そうするほかないからだ。そんな年度末、モーモールルギャバンの新作を聴いている。この人たちはピアノトリオの編成なのだが、キーボード(エレクトリックピアノ)のアレンジが楽曲のかなめになっているように思う。4月の東京公演、プレオーダーを申し込んでおきながら支払い期限を忘れていて無効になり、一般発売の開始日は、仕事から戻ったら既に「予定枚数終了」となっていた。こういうドジは本当によくやる。正にドジだ。ドジだけどくやしいから他県の公演を、と考えているが、どうなるか分からない。考えているだけの方が楽しいときもあるもんだ。いつになったらモーモールルギャバン、見れるだろう。

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